OSHIIRE BOX

地方在住。育児・推し・ドラマ・日々の生活の備忘録。

苦手なりにやってみる。

昨日、家事代行さんをお願いした記事を書きました。

こちら→

 

muchimuchi.hateblo.jp

 

 


月に二回ほどで一回1時間半~2時間お世話になっています。

お願いしたい!!とはいえど、やはり最初は他人を家に入れることに抵抗がねぇ。あるよねぇ。

 


ましてや散らかってますし。

自分の急所をさらけ出してるようなもんです。(ヒュンッ)

 

 

 

なので、初回お試しの時はいつもよりかなり綺麗にした状態(だけど「すいません散らかってます~」と見栄を張った)でお迎えしました。


まぁとりあえずやってみましょう!ということで営業さんと担当さんがクローゼットでもやりますか!という感じで進めてくださいまして・・・・

 

担当さんとの相性もあるだろうし、まぁお試しだし・・・という気持ちでしたが、
クローゼットの詰め込んだモノたちを全て出し、根本的なところから整理し始めてくれました。


私はひたすら「これはまだ使います。」「これはもういらない。」と分けていくだけ・・・・

 

クローゼットの中で3・4年使っていなかった収納ケースはリビングに出し息子のおもちゃ入れに。


リビングの隅(少し手が届きにくいところ)に鎮座していたカラーボックスの中も雑誌をすべて出して、(たかはし表紙ばっかりだったから察されているとおもう。)いる・いらないを分けていく。。

 

なんということでしょう!!!!

 

雑誌が入りきらなくて乱雑に突っ込んでいたカラーボックスもすっきり。
もちろんいらない雑誌も多かったので、一段は絵本収納・あとの二段は雑誌や写真アルバムなどがはいりました。

 


その場で契約の印押しましたね。

 

営「ご契約は、また後日でも・・・」
「いえ、今します!!!!」

 

即答でしたね。

 


事前に、営業さんと連絡を取っていた時に、【とにかく片付け・整頓・整理が苦手です。家事代行さんにお願いしつつ、私もお手伝いして片付けのやりかたを学びたいです】とお願いしていました。

 


恥ずかしながら30数年生きてきて、やっと?はじめて?片付けの方法を知り始めた段階です。

 


でもね、やっぱり居住スペースがすっきりしているってきもちがいいんです。
圧倒的にストレスが少ない。

 

 

 


片づけなきゃ!!よりも片づけたい!!に変わってきました。

 

 

 

 


気の持ちようといったらそれまでだけど、私にとってはとても大きな転機でした。

 


まだまだ散らかってはいるけれど、少しずつ自分でも片付けが出来るようになってきています。

 

 

では。

 

 

 

 

 

しないといけないを減らしたい。

仕事復帰をして早2年。


毎日あっというまに一日が終わってしまい、成長するわけでもなく現状維持の日々。


現状維持は衰退だ!

 

・・・と先日菅田将暉オールナイトニッポンで菅田さんが言っていたなぁとおもいながら過ごしています。

 


そんな中でもちょっとはレベルアップ?したことがあって・・・・
少し部屋の片づけが苦じゃなくなったこと。

・・・というと語弊があるけれども。

まずはその経緯を。

 

さいころから片付けというものが本当に苦手でした。
部屋は散らかって足の踏み場がないのがデフォ(比喩ではなく物理的に)。

今もまぁ仕事のデスクの上は書類が散乱してはいますが・・・。


母も父も片付けが得意ではなく、それを受け継いだのもあるし、やり方がわからないという部分もあったのかもしれません。

 

休日に掃除や片付けをしないといけないと思うのが本当にストレスで。。

しなかったら『しないといけないのに・・・』でモヤモヤ。

したら『片付けうまくできないのに・・・』でモヤモヤ。

 

 

そんな中、ちょうど昨年放送されていたドラマ『私の家政夫ナギサさん』を見てふと肩の憑き物か取れた気がしました。


すぐに【居住地 家事代行 家政婦】で検索し、一番お手頃価格だった家事代行サービスに連絡。

 

お試し2時間を経て、

現在月に2回ほど2時間ずつ家事代行さんにお世話になっています。

 

苦手なことを克服することもとっても大事だとおもうけれど、私はそれがものすごくストレスになることがやっとわかったので

 

自分の得意分野である【人に頼る】という道に行きつきました。

 


これで一つまた【呪縛】から抜け出せた気がしています。


続きはまた今度。

 

 

ほな。

 

 

 

 

 

私の家政夫ナギサさん DVD-BOX

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夢かと思ったけど現実だった。

失ってはじめて気づく・・・とはうまいこといったものだ。

 

7月18日。

家族の誕生日が命日になるとは。

 

特別好きというわけではなかったと思う。

ただ、FNS歌謡祭で煌びやかな衣装とメイクで歌い踊った姿に目を離せなくなった。

インスタをフォローしてみたり、歌番組の録画は残したり、曲はDLしたり。

ミュージカルはチケット申し込んだが落選した。悔やんでいる。どうにか見る方法はあったんじゃないかと。

 

この先自分も年を取っていくけれど、彼もまた年を取ってますます素敵な俳優さんとして作品を作っていくのだと思っていた。

 

 

当たり前なんて存在しない。

 

 

私自身、父を同じような道で亡くしているので(方法は違うけれど)それを選んだ彼を否定しない。

というか否定してしまうと、それを乗り越えてきた(はず)自分を一回壊してかからないといけないのでしんどい。

 

訃報が発表されてからいたるところで「容姿にも実力にも恵まれて」とかいうコメントをみた。

でもそれは違う。隣の芝生が青く見えているだけ。

芸能界ってすごいよね。

まるで夢の世界。

でもその世界にいる人にしかわからないことがある。

誰だって、どんな人だってそう。その環境に、その立場になって初めてわかることがある。

そして自分にしかわからないことがある。

 

こういうことが起きると、ああだったかもしれない・こうだったかもしれない・こうしていれば・もっと気にかけていれば・あの時声をかけていれば・あの時こうしなければ。

残された人は思う。

私もずっと考えている。あの時私がこういう選択をしていなければ、こう言っていれば、冷静に過ごすことが出来ていれば・・・。

でもそれは自分のエゴなんじゃないか。

 

そういったことを考えるようになってもう10年ほどたちました。

 

 

自分自身の最期の選択。

否定はしない。彼の選んだ道を。

 

だけど、ただ一つ、もっと作品を見たかった。

 

写真や映像を見れば見るほど信じられなくて、とてもきれいな方だなぁとうっとりしてしまう。

 

美しい、そんな言葉が似合う。

 

 

彼が自由になる方法がこれしかなかったのかとおもうとこの世界はなんてくだらないんだろう。

そう思ってしまう。

 

 

生で見ることはかなわなかったけれど、映像作品を少しずつ見ていこうと思う。

その中には彼が生きていると思うから。

 

 

 

もう苦しまなくてもいい。

どうか穏やかに、ゆるやかに、安らかに。

綺麗な世界で過ごしてほしい。

 

 

死んでしまうと無になるのか、どこか違う世界で生きていられるのか。

分からないけれど。

 

 

 

 

 

 

あらら。

三日坊主とはこのこと。

 

どうもお久しぶりです。

書こう書こうと思いつつ自分の中でまとめられなかったことがたくさんあり、

今に至りました。

 

 

さて。

先日、天保12年のシェイクスピアを観劇するため上京しました。

有給もとり、周りへの根回しもして・・・

前日夜に天候不良の為運行するか調査中とのメールが送られてきて・・・

 

少しバタバタしましたが、無事飛行機も飛びました。

 

お芝居はおもしろかった。

いや、こんな言葉で表すのは陳腐なんだけれど、おもしろかったのです。

ミュージカルだということをすっかり忘れていたということもあり、

音楽・歌がつまっている舞台に行くことが出来てよかったです。

 

 

そしてなにより今回、たくさんのツイ友?推したちにお会いできたことが本当に幸せでした。

 

このアカウントを始めたのは、おんな城主直虎を見ていた時に

もともとのアカウント(地元寄りのアカウント)でつぶやいていたのだけれど

あまりに直虎のことばかりつぶやいていたのでどうせならそれ用のものを

作ろうと思い始めました。

 

そこから全国津々浦々にいらっしゃる方々とご縁ができ、

いつも非現実(ネット)の世界にいるみんなにお会い出来ました。

(ネットと非現実は=ではないのだけれど、日常生活のなかで

顔を合わせていないので非現実という言い方になった)

 

今のアカウントを作ったのは妊娠中だったこともあり、

直虎が終わってから、出産してから、育休に入ってから・・・

つい入り浸ってしまっていました。

 

そこで出会った方々、みんな年齢も住んでいるところもバラバラで

共通していることは推しが同じ人物ということ。

 

これから私が数年後、数十年後に向かっていく先にいる方もたくさんいらして。

そこから年々誕生日を迎えることがたのしみになりました。

それに、生きていくこと、生きていることが楽になった気もしています。

 

母親になったからって、すべてを我慢しないといけないわけではない。

これに尽きる。

もちろん物理的に難しいこともあるんだけれど、

楽しみがあるから日々の生活をふんばれる、ということを胸を張って言えるようになりました。

 

舞台の後の集合で30分くらいしかいられなかったことが本当に本当心残りです。

もっとあの空間にいたかった・・・・。

 

 

みなさん、本当にありがとうございました!!

必ずまたお会いしましょう。

 

 

 

・・・舞台のことは、もう一回見てから書きます。

 

 

POP VIRUSのすごさ。

MVを見たり、DLして初めて聴いたときは「多ジャンルぶっこんで来たなぁ。」と思っていた。
R&B、HIP HOP、FUNK、JAZZ、POPS・・・なんだかたくさん盛り込まれている感じ。
 
結構心地よくて少し前までよく聴いていたので曲の流れもわかっていて時々口ずさめるくらいになっていた。
 
なのに、先日放送された『おげんさんといっしょ』のエンディングでPOP VIRUSが演奏されたときはまるで初めて聴く曲。
 
いや、何回も聴いてはいたのだけれども、それまで聴いていたときに見える映像?世界?と今テレビの中から聴こえてくる音楽の世界が全然違っていて驚いた。
 
朝ごはんとお弁当を作りながら録画を見ていたのだけれど、しばらくは唖然としたのだけれと段々自然に体が動いてリズムを刻んでいたしなんならワクワク?ソワソワ?とにかくなんだか新しいことが始まるような感覚。
 
 
音楽を聴いてワクワクする、なんだかいい気分になることってすごく貴重だと思っていて。
 
毎日せわしなく過ごしているけれど、通勤の車では好きな曲を流しているし、趣味の音楽活動でも歌を歌っている。
 
自分が歌を歌っていて楽しいなと思うこともよくあるのだけれど、おげんさんといっしょで放送されたPOP VIRUSを聴いた時の感覚を塗り替えれそうにない。
 
 
あの感覚をもし自分たちがうたっているときに味わえたら、どれだけ気分がいいんだろう・・・。
 
 
 
ゆるい番組と出演者は言っているけど、音楽への愛が溢れている番組も近頃は少なくなったので年に数回でいいのでこれからもずっと続いてほしいな。と思いました。
 
 
 
 
当分はまたPOP VIRUSに感染したままです。

頭の中の山手線

我が家は一年の半分くらいがいわゆる『ワンオペ育児』になる。

夏前から夫は毎日私と息子が寝てから帰宅し、9月からは土曜も出勤になる。

今私の職場は少し特殊で、ほとんど一人で仕事をしている。(もちろん従業員はいるんだけれど、部屋としては一人。)

となると、なかなかアウトプットする場所がない。

出産前の事務所だと、仲のいい先輩と毎日いろんなことをおしゃべりしていたのだけれど、今は本当に話をする相手がいない。(いても40歳以上の男性ばかり)

 

それが原因かどうかはわからないんだけども、自分が本当に思っていることを話すと涙が出るようになった。

というのも、すごく省エネで生活していて、出来るだけ感情のふり幅を大きくしたくはないし、怒りたくないし、高ぶりたくないし・・・・

感情の起伏でくたびれる、ということをしたくない。

もちろん怒るときもあるし、めちゃくちゃうれしい時もあるよ。

 

 

ただ、年々人と接するのがすごくうわべだけになってしまってきている。

 

先日、飲みに出かけたときに後輩に「ねりさんってすごく考えながら話しますよね~。」とサラッ言われた。(鋭いことを言うこの後輩を一目置いている)

 

もちろん話をするときって思ったことをそのまま話しているのだけれど、言われてみればすごく無難な会話をしている気がする。

 

「本当はこう思っているんだけど、たぶん相手はそういう答えを望んでいるわけじゃないだろうからこうやって言っておこう」みたいなことがきっと頭の中身を囲んでずーっと走っているんだとおもう。(ト〇カのプ〇レールのように)

 

 

昨日、夫と息子のことで話をしていて、自分の意見・考えを話ししていたらやっぱり何かこみあげてきてしまった。

 

でも、まだこみ上げてくることができて、その相手が夫っていうのは幸いかな、と思う。

 

そして、なんだか自分の根本にあることに気が付いてしまうとちょっとズーンとくるなぁ。

 

 

 

 

 

おしまい。

ちょっとしたかべ

仕事復帰して、半年が経とうとしていて毎日なんとか過ごしています。

 

18時30分までに帰宅し、夕飯を作り19時前後には夕飯を食べ始め

20時前後にはお風呂に入り21時までには寝室へ行きたい(願望)。

 

夕飯を作っているとき、息子は私の足元で遊んでいる。

食器棚の下の段にタッパー類をしまっているので、それを出して重ねてみたり、鍋やボウルが入っている引き出しを私が開けたすきに小さなボウルやざるを引っ張り出してみたり。

好きにさせてたらいいかな、と。

 

 

私が子供を止めたりダメと言ったりするのはもしかしたら一目を気にしているだけなのかもしれないと思い始めていて。

外では一応「だめ!」とか「これはしないよ。」と言って子供の行動を止めようとするんだけれど。

 

ご飯を食べるときには立たない、とかはもちろんいうんだけど食べ物で遊ばないというのをわからせることって本当に難しい。

まだ触ったり食べたりしたこともないものがたくさんある中で、やはり感触が気になったら触りたいと思うし。

 

昨日参加した幼稚園の説明会で、「放置と見守りは違います」と園長さんがおっしゃっていて、「私は制止せずに見守りたいんだ・・」とちょっと肩の荷が下りた気がします。

 

私の育児情報の入手先はほぼツイッター

そうなると、いろいろな立場、いろいろな特性の子を持つ親、の気持ちが流れてくる。

いいね!やRTで回ってくるからつい読んでしまって。

 

私はたぶん共感性が強くて、そういうのを読めば読むほどドツボにはまって「自分もこうしてしまっているけど、こう思う人がいるから外ではやめとこう」とか。

本当は子供のやりたいようにさせてみたいけど、例えばほかの子に近づいてその子の持っているおもちゃを息子が取ったとしたらすぐに戻して、そのことは離すとか。

息子よりおおきい子の時は「やめて」とか言われたりするのでそう言ってもらえたら「そうだね、ごめんね。」って言えるんだけど、同じような年齢の子だとそうもならず。

息子はおもちゃを取られたとしても、別のおもちゃに行くだけであまり気にしてない時が多い。

もちろんみんながみんなそうではないから、ちゃんと見ておかないといけないというのは大前提なんだけども、なんでもかんでも先回りして離すのがベストか?というとそうでもないとも思う。

 

 

 

自分が人間関係でつまずくとこがよくあるので、私にとってはすごく難しい課題です。

 

人間ってむずかしい。