夢かと思ったけど現実だった。
失ってはじめて気づく・・・とはうまいこといったものだ。
7月18日。
家族の誕生日が命日になるとは。
特別好きというわけではなかったと思う。
ただ、FNS歌謡祭で煌びやかな衣装とメイクで歌い踊った姿に目を離せなくなった。
インスタをフォローしてみたり、歌番組の録画は残したり、曲はDLしたり。
ミュージカルはチケット申し込んだが落選した。悔やんでいる。どうにか見る方法はあったんじゃないかと。
この先自分も年を取っていくけれど、彼もまた年を取ってますます素敵な俳優さんとして作品を作っていくのだと思っていた。
当たり前なんて存在しない。
私自身、父を同じような道で亡くしているので(方法は違うけれど)それを選んだ彼を否定しない。
というか否定してしまうと、それを乗り越えてきた(はず)自分を一回壊してかからないといけないのでしんどい。
訃報が発表されてからいたるところで「容姿にも実力にも恵まれて」とかいうコメントをみた。
でもそれは違う。隣の芝生が青く見えているだけ。
芸能界ってすごいよね。
まるで夢の世界。
でもその世界にいる人にしかわからないことがある。
誰だって、どんな人だってそう。その環境に、その立場になって初めてわかることがある。
そして自分にしかわからないことがある。
こういうことが起きると、ああだったかもしれない・こうだったかもしれない・こうしていれば・もっと気にかけていれば・あの時声をかけていれば・あの時こうしなければ。
残された人は思う。
私もずっと考えている。あの時私がこういう選択をしていなければ、こう言っていれば、冷静に過ごすことが出来ていれば・・・。
でもそれは自分のエゴなんじゃないか。
そういったことを考えるようになってもう10年ほどたちました。
自分自身の最期の選択。
否定はしない。彼の選んだ道を。
だけど、ただ一つ、もっと作品を見たかった。
写真や映像を見れば見るほど信じられなくて、とてもきれいな方だなぁとうっとりしてしまう。
美しい、そんな言葉が似合う。
彼が自由になる方法がこれしかなかったのかとおもうとこの世界はなんてくだらないんだろう。
そう思ってしまう。
生で見ることはかなわなかったけれど、映像作品を少しずつ見ていこうと思う。
その中には彼が生きていると思うから。
もう苦しまなくてもいい。
どうか穏やかに、ゆるやかに、安らかに。
綺麗な世界で過ごしてほしい。
死んでしまうと無になるのか、どこか違う世界で生きていられるのか。
分からないけれど。